嫌われた監督②

2005年。森野将彦さんのお話。

この時、27歳。2005年は落合監督も二年目になっていた。この年から森野に対してコーチからの練習がとてもきついものになっていたという。外野のノックが激しいものになっていた。この原因は監督からの指示だということを森野もわかっていたようでした。森野は9年目。練習ではだれが見てもほれぼれするような打撃。しかし試合になるとあっけなく三振をしてくるような状態だった。ずっと控え選手であったものの、打撃センスが認められていて代打で起用されることが多かったという。

2005年はリーグ優勝を逃して二位。十月には秋のキャンプを行っている。森野ももちろんそこに参加するのだが、この時、落合から、「立浪からレギュラーを取る気はあるか?」と聞かれたという。森野はもちろん、Yes.の答え。立浪は不動のサードのレギュラーだった。

この時から秋のキャンプからシーズンが始まるまで監督自らの厳しいノックが始まったという。練習では尋常じゃないほどのノックをうけた。その甲斐もあって春のオープン戦では立浪と交代でサードを守るなど、そこまでたどり着くことができた。しかし開幕前、試合でデッドボールにあい、小指を骨折。全治6週間。開幕は絶望。森野は泣いていたという。

2006年のシーズンは始まり6月。ここでいきなり、立浪本人への伝達もなく、森野がサードのレギュラーとなる。これは今まであり得なかったこと。今までは絶対本人に何かの説明をしていたという。これには立浪も本当に怒っていたそう。

その後のシーズン、立浪は代打要因。森野はレギュラー。落合監督からは通りすがるたびに「お前の代わりはくらでもいるからな。」と言われていたという。不安が増えてくる。練習に早くいくことになります。しかしそこには立浪が誰よりも先に練習をしていた。試合の中で一度しかチャンスのない代打で、その時のだけのために誰よりも早く来て練習をしている。

落合は2005年シーズンの試合中はベンチの端っこで一人で試合をみていた。本人曰く、三遊間をじっとみていたという。それはこの著者である記者と二人のときに話したこと。この時気づいたようだ。立浪の動きが悪くなっていることに。

感想:森野はレギュラーにならずとも、ある程度の立場で野球生活を送ることができた。本人もそれでいいと思っていた。そこを奮い立たせた落合監督、実力の見抜き方にすごさを感じた。よく言われているのがやる気のない部下がいるのは上司の責任だと。それはリーダーが理由なき職務放棄をしていることだと。この点はリーダーをしている自分のことにも繋がってくるものだと感じました。

またプレイヤー自身のプロ意識について、自分の努力でレギュラーになっはもちろんあるが、その分立浪も努力をしている。現状でいることはもちろん、いい。それは他人による。しかし今の状況にうつつを抜かしてはいけないこと、そしてその覚悟を持つことの大切さを学べた。

落合監督の目線。当たり前ではあるが全体をみる視点、その変化を感じ取る必要があること。そして気づいたらそこは改善しなければいけないこと。これは仕事でもそうだ。変わらなければいけないことがあっても、何かに理由をつけて、後回しにしたり、見て見ぬふりをしたりしてしまうことはある。きっと変化するには痛みが伴うことがあるだろう。もちろん変化をしなくても良い時もある、しかしその先にはよいか悪いか、違う未来がみえるのだろうと感じた。


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